「ヌチドゥタカラの家」感想ノートより


2007年

ヌチドゥタカラの家反戦平和資料館         2007-
        感想ノートより       


「戦争で幸せになった人はいません」
 本当にそうなのに、何故みんなは戦争をするのか?
 そして何故、戦争の前ぶれを見ようとしないのか?
 今、私ができる事、それは戦争の前ぶれをさっちし、反対を
 言いながら、生きる事。
 大きな事は出来ないけれど、けれど、自分の足元でできる事を
 すこしずつしていきたいです。
                                    (6月)



HP(ホームページ)上で、平和活動をしています。
 一人でも多くの人が「キケンな思想」に汚れる事なく、
 平和な世界で暮らせるように願っています。
                                    (7月)



米軍の服のにおいをかぐと、古い香りがしました。
 終戦してから、私の人生が3度過ぎるほど月日が経っています。
 広いさとうきび畑、広い青い空、美しい景色に、かつてどのような
 ことが起こっていたのか、知ろうとしなければわからなないくらい
 に平和です。
 今の平和に埋もれるのでなく、先代の悲しみ、辛さを知り、平和
 を保っていけるよう努力しようと思います。
 ありがとうございました。
                                    (7月)

2000年

ヌチドゥタカラの家反戦平和資料館          3月
        感想ノートより       


私は今帰仁に住んでいて、ヌチドゥタカラの家このことは聞いていたけど、今日始めてきて、もっと早くこればよかったと思った。戦争の恐ろしさや悲しさを改めて知って、平和の為に私たちはこれからどうすればいいのか考えさせられた。来てよかった。
                 


               
戦争を知る事は、平和を知る事!

                      

三年前に来たときは阿波根さんのお話をきくことができました。在日の生徒たちにも沖縄のことを伝えていくことができています。今回は結婚一周年でつれあいをここに連れてくることができました。




原爆を落とされた、という被害者の様な感じの日本ではなくて、日本に問題があったことを知った。沖縄の人たちは「殺す」とか言うこととは無縁だったのに、戦争中は、一般の人も巻き込まれ、家族に凶器を向けなければならなかったり、今でも、こんなに基地があり、沖縄の基地がひとつ残らずなくなればよいのにと思います。なくさなくてはいけないです。



ここで頂いたもの、今はまだ言葉になりませんが、これからも「平和」について学び続けたいという思いになっています。


2000年
ヌチドゥタカラの家反戦平和資料館              4月
        感想ノートより       








昨年12月に、新潟でも「教えられなかった戦争・伊江島の闘い」を上映しました。自分の目で確かめたいと、今回の沖縄フィールドワークでは、この地を訪ねてみました。現実を物語る「モノ」に圧倒されています。じっくりとふり返って、それらの語りかけているものについて考えをめぐらせたいと思っております。
        


初めての沖縄訪問。島民の皆さんの心、声を知る事は旅行者には難しいことですが、この資料館が代表して語ってくれている気がします。                                   


ここにくることが出来てよかったです。胸にせまってくるものがありました。それ以上は言葉に表現することは出来ません。ありがとうございました。
                                   


せんそうはよくないとおもいます。
みんながきてたふくにはちがついていますが、ほんとうにかなしいことだとおもいます。みなさんはそんなことはしないでください。
                                   


せんそうって、何でしょう?



(最上段写真の感想)
この資料館に一歩立ち入ったとき、迫力と空気の重さに逃げ出したくなる思いだったが、見なければといいきかせて前へ進んだ。伊江島の人々の優しさ、情け、そして本当の強さを知ることができて、ここへ来てほんとによかった。真の平和とは何か。真の優しさとは何か。
その答えが、この小さな資料館の中に大きな想いといっしょにたくさん詰まっている。私にできることは何だろう。
学ぼう。考えよう。そして、子どもたちと一緒に行動していきたい。少しずつでも。
ありがとうございました。がんばってこられた皆さんに感謝したいです。




南米移住された方たちの子どもたち(働くために、日本に戻ってこ
 られた家族です)。
 その子らと、その子らのルーツである沖縄に親戚訪問をしていま
 す。沖縄の戦争、戦後について学んでいます。
 また、個人的ながら、ベトナムにつながれる子が集在する横浜市
 泉区に、仕事が異動になり、ますます、この資料館見学が意味
 深いものになりました。
  ※横浜市泉区には、おおぜいのベトナムから逃れてきた方、
   その子たちが住んでいます。
   「戦争は、やはり おかしいよ。変だよ」
                                    (8月)
ヌチドゥタカラの家反戦平和資料館              5月@
        感想ノートより       






ありがとうございました。
いつまでも、この場所を大事にしてほしいです。                                   


沖縄からすべての(自衛隊も)
基地がなくなるまで、無条件の訴えを続けていきましょう。
                                   


同じあやまちをくり返さないためにも、私は平和とは何かを考えるとともに、戦争について知らないことが多すぎたことを感じた。
これからもがんばってください。

                                   
沖縄全島が完全に返還されるよう祈っています。


平和を希求するこころの大切さを再確認しました。


入り口にある銃剣で刺された幼児の服には、思わず涙がこぼれました。母親なら我が子を丈夫な子に育てたいが、第一の願いのはず。この殺された母親の心はいくばかりであったでしょうか。
平和だから子を産み、いつくしみ、育てられるのです。
政党、宗教、人種、思想を超えて平和を求めていこうと思います。


ヌチドゥタカラの家反戦平和資料館              5月A
        感想ノートより       



伊江島へ行きたい。平和資料館で、平和の尊さを学びたいと思って何年か過ぎ、やっと実現できました。「平和の尊さ」や「戦争のおろかさ」が、ここに来て、鮮明に分かります。家に帰って、ビデオ(沖縄編・阿波根昌鴻-伊江島の闘い-)をもう一度、見たいと考えています。
        


人のやさしさ、人の心とは、再びここで考えさせられました。        

      
                     





人を犠牲にすることが当たり前、無自覚になっていることが、今の青少年音の心をどれだけむしばんでいることか。どこの博物館より素晴らしい教えの場でした。


ヌチドゥタカラの家反戦平和資料館              6月
        感想ノートより       




今日の話は知らないことが出てきて、こわい話。おどろいた話を聞いて、非常におどろいた。僕たちが全然知らされていないことがでてきた。基地問題、戦後補償など全然されていないこと。地域によって終戦がちがうこともはじめて知った。
今日の僕は戦争のことについてあまりに無知だったこと、又学校で教わることなどではとうてい戦争の悲しみを知る事などできぬはずだと痛感した。
今日の話を聞いて、僕はあらためて、戦争の悲劇、又戦後55年の沖縄のことについて学べた。今日の話を心にきざみつけて、僕になにができるかとゆうことを考えていきたい。そして今日の話ありがとうございました。




私は日本という国に生まれ、日本国民として生きています。中学、高校と歴史を学ぶ中で、私はこのことがとてもいやになることが多々ありました。どうしてこんな国なんだろう、と。どうしようもなく悲しくなったりもしました。でもその中にも今ある現実に向き合って、考えて生きている人がいることを知りました。
沖縄の基地問題にしても、原発問題にしても、環境破壊にしても、それを推進する人もいれば反対する人もいる、ということを。今の私は無知です。だからこれからです。何故、大切な命を奪うような戦争を好むような、推し進めるような人間が存在するのか、私には理解できません。でもそれにもきっといろんな理由があるのでしょう。
どんな理由があるにしろ、私は戦争は許せません。沖縄に立って、私たちには知る必要のある事柄がたくさんたくさんあることに気付きました。でも実際、正直言って自分がどうすればいいのか分かりません。まずは知ることから。そうしようと思います。ありがとうございました。             
                                   
ヌチドゥタカラの家反戦平和資料館              7月
        感想ノートより       



今の日本の中に「生きる」ことを本気でやっている人はいったいどれだけいるだろうか。「まずい」「おいしい」という判断で食べるのを見ると、生きる為とはいえない。人が本気で生きる為、ということを考えるなら、みな、たすけ合い平和はくると思う。自然にすこしでも戻れば、闘う要素は何もない。




カデナ包囲行動で、岩国より沖縄に来ました。
沖縄にも、岩国にも基地はいりません。クリントンにアメリカへ持って帰ってもらいたい!
平和の為に共に励みましょう。             
                                   
ヌチドゥタカラの家反戦平和資料館              8月        感想ノートより       


                   「2000年度・小学校課題図書」



小学校の課題図書になっていた「シマが基地になった日」を娘と読み、沖縄で生まれ育った私でさえ、こんな事実を知りませんでした。
もっともっと、学校でも折にふれて、この話や体験談を聞かせるべきだと思いました。戦争のうわっつらしか知らない私たち若い世代に知らせる必要があると考えています。




もし自分が戦争中に生まれていたら、殺されていたかも…。
 −彼女は障害をもっています。だから、余計にそう思ったと思います。








外国人として、私は少しだけ読めました。けれども、古服か写真などを見たら、歴史が感じると思います。本当によかったです。
                              (ドイツから来島)



 


                                  
マスコミの世界に身を置きながら、この地に来るのが遅かったことを悔いています。「頑張ってください」「ありがとう」の類の感想はどうしても他人まかせの感をいなめず、書けません。
自分自身がこの戦争に対して個人レベルで、そして組織の中でどう向き合えるかを改めて考え直す機会にしようと思って、この資料館を訪れたつもりです。期待に反せず、資料展示の充実ぶりに感謝いたします。

ヌチドゥタカラの家反戦平和資料館              9月        感想ノートより       



「平和」にむけて、自分が納得のいくことでいいから、精一杯ジタバタしてみます。


沖縄の歴史と現在の観光業で栄える沖縄の間に、あまりにも大きなギャップがあることが分かります。住民の方々の心の複雑さは、推し量ることができません。



岩波新書「命こそ宝」を読み、当館を見学しました。聞きしにまさる実物の迫力に圧倒されました。本当の県平和祈念館の展示では、戦後の米軍の横暴を伝える視点がほとんどなく、疑問に感じていましたので、当館の展示に「本当にそのとおり」と納得したしだいです。高校修学旅行で伊江島へ来たのですが、当館を見学地に組み入れなかったことを悔やみます。帰って、このことを同僚、生徒に伝えます。

ヌチドゥタカラの家反戦平和資料館              10月        感想ノートより       

戦争はもう絶対しちゃいけないと思う。今日、ここに来て、なんかこわかった。戦争は本当にこわいって心から思った。


戦争で犠牲になるのはいつも、何の罪もない弱い人たちですね。




やっと「わびあいの里」へきました。97年の生協の新聞で阿波根さんの「五つの指」を知り、ずっとここへきたい、一度はいってみたいと思っていました。あの詩のように、一日でも早く基地のない沖縄を。そして、来年3月の阿波根さん100才記念イベントを楽しみにしています。阿波根おじぃ。健康でいてください。

ヌチドゥタカラの家反戦平和資料館              11月        感想ノートより       




毎日、コツコツと、平和を祈り、創造し創りあげていきたい。